いよいよ明日、ローマを発ち、帰国します。
イタリアが、私に教えてくれたもの。
それは、「人生の喜び」。
“mangiare,cantare,amore(食べて、歌って、愛して)”の国と言われるイタリアですが、私にとっては、本当に可笑しくなるくらいその通りでした。ただ、「食」だけとってみても各州、各地で全く色が異なる国なので、厳密には「私が暮らしたところでは」と言ったほうがよいのかもしれません。
ある人が、私に言った言葉。
「きみは料理だけを学びに来たんじゃないよね、何を探してここまで来たの?」
イタリアに来たのは、料理を学ぶため。そして昔からの夢だった、海外で暮らすため。それ以外に目的があったわけではありません。けれどそのとき私は「何も探してないよ。」と答えることができませんでした。
実際、この1年で料理以外に得たものがたくさんありました。きっと日本でも見つけることができたのかもしれませんが、海外にいることで私の感性のアンテナはより研ぎ澄まされていて、イタリアで見たもの、食べたもの、感じたことは全て、脳裏に鮮明に描かれていきました。
今私が感じていることをそのまま書くならば、日本は「将来のために生きている国」、そしてイタリアは「今を生きる国」という感じがします。この背景には、もちろん国民性、社会情勢、文化、等々、、、様々な要因があるのですが、日本からやってきた私はイタリアに来たことで、人生の新幹線から降りて、しばし自分の足でゆっくり歩いてみることができました。
私がイタリア人からもらった言葉で、今後もずっと大切にしていきたいものを、二つ後紹介します。
“Carpe diem”(ラテン語で、「今を生きる」)
“Devi essere felice’”(イタリア語で、「君は常に幸せでなくちゃいけない」)
イタリアには、今も羨ましいほどの美しい自然や、その中に溶け込む町並みがあります。その中にいると、日々の生活の中で色々うまくいかないことがあっても「まぁ、いいか!明日はきっと上手くいくさ!」という気持ちになりました。夜になれば、橙色のランプで街中がライトアップされ、光と影がロマンチックな景色を作り出し、空を見上げれば、綺麗な星空。皆が愛を求めて、それを隠すことなく前面に出して(出しすぎなところもありますが・笑)、人生を謳歌していました。
日本のように、なんでも揃っているわけではないけれど、イタリア人は身体一つで歌って、踊って、愛を語る。人間主体の生き方というよりは、自然の流れに身をまかせ、何か起こる前に準備するのではなくて、起きてから対処する。事前準備に慣れてしまった私には、時折不安に思うこともありましたが、最終的にはなんだかうまくいく。「どんなに考えてみても、次に何が起こるかは誰にも分からない。全てのことは、起こりうることさ」という考え方が、私を楽にしてくれました。
そして、人生の喜びは「愛すること」。
日々を愛し、故郷を愛し、人を愛し、自分を愛する。
忙しい毎日では、つい見失いがちなことだけれど、
人間の、大事な根っこの部分。
日本と正反対の国、イタリアに来たから、私は気づくことができました。
イタリアで暮らすことができて、よかった。
私を支えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
『転食日記』と名づけたこのブログですが、帰国後からが自分の国日本での、本当の意味での「食」世界へのスタートだと思っています。
ブログは、帰国後も続けるつもりです。この1年で書ききれなかったイタリア生活を引き続き書きつつ、今頭の中にあるアイデアを少しずつ形にして紹介できたらと思っています。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。